その日は凄く、寒かった。

薄く雲を残しながら晴れた空とは対照的に、肌を刺すような寒さだ。


関東は放射冷却で、雪は降らないけど寒いのだと…誰かが言っていた。
しかし今年の冬は違った。
もう、2度も雪が降っている。

昨日の雪を残したグラウンドを、オレはフェンス越しに見つめていた。





「慎吾サン…いいの?こんな時期にグラウンド来て…」
「おう、利央。お前に心配されるほどヤバくねーよ。つーか、グラウンドぐちゃぐちゃじゃん。大変だな」
「ぐちゃぐちゃの場所ならまだヘーキ。大変なのは、凍っちゃってるところ」
「凍ってんの?なんで?」
「グラウンドじゃなくて、ベンチの前。朝練の時、が派手にドリンクこぼして…日陰だったから、カッチカチ」

が、ね…」







あのバカみたいに純粋で、強がりな生き物が、オレは苦手だった。
からかいがいがあるのは、利央と一緒…でも、は利央以上に純粋だ。
あまりからかいすぎると、すぐに瞳に涙をためる。
でも、絶対人前で泣かない…かなり頑固な強がりだ。

そんな様子がまた面白くて、ヤマちゃんあたりはよく泣かせていた。

オレは正直、そんな風にすぐ泣くのを見るのが面倒で。
純粋すぎるを目の当たりにすると、自分と違いすぎて嫌になって。
結局、あまり関わる事無く、夏大を迎えた。











そんなの印象が変わったのは、オレらの夏が終わった時。

皆、泣いていた。
試合に出た奴も、出てない奴も、マネジも、皆。

でも、は泣かなかった。

涙を堪えて、ぐっと拳を握っていた。
視線は、いつまでもまっすぐ西浦の応援席を見ていた。
歓喜に包まれた、その応援席。
の視線は、そこから外れる事はなかった。






「…はい……」
「……帰るぞ」
「………………」







二度呼んで、やっとは荷物を片付け始めた。

その時、は何を思ったのか。
それを知っている者は、きっと誰もいない。

涙を堪えた、の気持ち。
拳を握った、の気持ち。
じっと西浦を見ていた、の気持ち。

彼女は全てを、あのベンチに置き去ったのか。



あの日から、オレはずっとの後姿を追っている気がする。











「ねぇ、慎吾サン」
「ん?」
「あのさ、オレ…ずっと考えてたんだけど」

は、どうして泣かなかったのかな」



あの場では、泣かない方が不自然だ。
一人涙を堪えていたは、あの中では浮いていた。
利央の目にも、不自然に映っていたのだろう。



「なんで今、それをオレに聞くんだよ」



答えが返ってくるのに、少し時間がかかる。
すぐ帰ってくると思っていたオレは、ふと利央を見やる。

利央は、少し顔を顰めていた。





「……なんか、最近…が可笑しいんスよ…」





なんで、と尋ねようとした時、利央の真っ直ぐな視線に気付く。
その視線を追った先には、の姿があった。

洗濯物の入っていたカラの籠を抱えたまま、は遠くを見つめている。

ずっとずっと遠くの空を見つめていた。

その先には、何も無い。
虚空を、見つめていた。
隣の利央は、顔を顰めたままだ。
仲間の異変に、利央も不安なのだろう。

利央は部室に戻ると言って、静かにその場を離れる。
オレも、に声をかけようか、と…グラウンドに足を踏み入れた時。


地面に崩れ落ちるかのように膝をついた、


聞こえて来た、あの時の曲。

9回裏、迅が打席に入った時の、あの曲が。





「………」





ゆっくりと、に近付く。
膝をついて、肩を震わせているに。

しゃくりあげるの背中をが、物語っていた。


あの夏の全てを、背負っていた気がした。







「…慎吾、さ…ん……」




小さな身体で、耐えていたんだ。

あの夏、全てを置いてきたように見えたのは、違ったんだ。
全て自分の中にしまいこんで、一人で泣いていたんだ。

この曲は、特別な曲だ。

オレにとっても、にとっても、桐青の皆にとって。

この曲とともに流れ出した、の特別な感情。
冬になって、溢れ出した、あの日への思い。


一人で背負う理由なんて、存在しないのに。












そっと、の肩を抱いた。

震えるその肩を、力強く抱いた。





「慎吾、さん…私、私は…」

「一人で、背負い込むな」


「皆で泣いて、哀しいのも、悔しいのも…皆で噛み締めればいいから」




冷たい風が、身体に鞭を打つ。

こんなに寒いのに、誰もがあの夏の事を忘れようとはしない。
あの暑い暑い夏の日が、昨日の事のように、鮮明に思い出せる。


あぁ、どうして。

あのたった一日の出来事で、こんな思いをしなければいけないのか。


特別すぎたあの夏の日が、いつまでも残っているのは。
それまでの努力とか、楽しかった日の事とか、全てが詰まっているからだろうか。





「選抜もある。その先の夏もある。は、立ち止まっちゃ駄目だから」
「………で、も……」

「忘れろとは言わない。でも、引きずるな。お前一人が引きずってちゃ、皆も前に進めない」





そう、が立ち止まるには、まだ早すぎる。

来年も、再来年も、には夏がやって来るのだから。


抱いていた肩を放し、と向き合う。

その涙の跡に、唇を落とす。







「進めよ、

「…慎吾、さん……」


「オレは、待ってるから」










     










涙で濡れたの顔が、少しだけ笑みを浮かべる。

聞こえはしなかった…けど、唇が形作った、“好きです”という言葉。


強く強く抱き締めて、強く強く抱き締められて。
あの日の夏へ、2人で思いを馳せる。

この強がりが、思い切り泣ける場所が、オレであってくれればいい。

今は、それだけでいい。


その先は、ゆっくり、考えていけばいい。






季節は廻って、また夏が来ても。

もう、オレの夏は来ない。



だから、オレは待っている。

2人で迎える、夏を。



が、心から笑える、夏を。

















西浦戦後の事は、色々考えてしまいます。
当然西浦の勝利は嬉しかったですが、桐青の事を考えると…涙出てきます。
(いや、西浦の事考えても涙出ますけど…)
私にとっても、あの西浦対桐青は、凄く凄く特別です。
きっと、考えてたら…1日潰せたりするんじゃないかな(笑)

個人的に、9回裏のあの曲は思い入れがあります。
多分あの前奏で泣けると思います。
選曲が素晴らしいですよね…アニメスタッフ(音響)さんって凄い。
だから、あの曲を踏まえた話を書きたくて、今回の話を書きました。

雪を降らせたのは、夏との大きな差(対比?)をつけたかったからです。
関東にも雪が降ったので、あとから考えると丁度良かったですね。
雪が降ってるのに、気持ちはあの夏に残っていて…そんな感じです。
夏と冬って正反対みたいなものですから、その矛盾的なのを表現したかったんですが。
思ってたように話が進まず、中途半端になってしまいました。
(恋愛要素も薄めになっちゃたし…)
あ、一応慎吾サンは負けたあの日から好きだった設定です。
ヒロインに関しては…不透明な部分が多いですが、ちゃんと慎吾サンの事好きです。
あー…駄目ですね、続き書きたくなっちゃいますね(笑)

やっぱり高校球児としての夏ってのは、凄く特別で。
3年が終わったら、もう二度と来ないわけで。
慎吾サンに“オレの夏はもう来ない”と言わせたのも、そんな思いが詰まってます。
夏は夏でも、この特別な夏はもうないわけですから。
見てる側からすると、毎年来る夏の高校野球ですが…。
選手からしたら、一つ一つ二度とない瞬間なんですよね。

1周年企画で利央のその後を書いて、今回で慎吾サンのその後を書いて。
準太とか…ヤマちゃん(シリーズで実現するかな…)とか和サンとか、他の人のも書きたいですね。

ダメだ、あの試合の事を考えてると、本当に(あとがきまで)長くなる…。


08/01/30  東雲


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